HHBN No.38, 2006.03.27
拓志の帰宅
拓志がオーストラリアにやってきました。
25日(土)早朝から3人でパース空港に向かい、彼の到着を待ちました。私と隼矢はベンチに腰掛けていましたが、るり子は心配で、到着客が出てくる自動ドアの傍に佇んでドアが開くたびに中を覗き込んでいました。大方の客が出て行った後、3箇所あるドアのうち、るり子が立っていた場所とは反対方向のドアから、白の開襟シャツにトッポいサングラスを掛けた、妙なアジア系の若者が出てきました。私はすぐに気付き、隼矢に「誰だ、あの怪しい奴は?」と声を掛けました。が、るり子は、怪しい拓志が近くに歩み寄り二回声を掛けるまで、彼と気付きませんでした。拓志は、「サプライズがあるから」、と南アを出る前に連絡してきていましたが、この変装(?)がそれだったのです。本来、ヒルトンの学生が帰省する際には、きちんと制服を着ていなければならず、私たちもその姿を予想していたのですが、プレザーとネクタイを取りサングラスを掛けるだけで、インスタント「怪しいアジア人」の出来上がりです。
そのままパース市内の中華街にあるアジア食材店に行き、好きなものを何でもいいからと子供たちを促して、冷凍餃子・カレーうどん・ししゃも・切り餅など約10,000円分購入。その足で中華街で飲茶をお腹一杯食べ、帰路に魚屋で刺身用のマグロ赤身・トロ・サーモンを購入しました。夕食は、これら刺身に、近くのスーパーで半額になっていたイクラを加えて、握り寿司と手巻き寿司です。最近お腹がすいて仕方がないという拓志は、2ヵ月半ぶりの日本米ということもあってかパクパク食べ、頼もしいことこの上ありません。また、この2ヵ月半ほどの間に拓志の背は更に伸び、るり子を追い抜いていました。声も変声期も終わりに近いようで、随分低くなった上にかすれています。つい最近まで、隼矢と拓志が並んでいてもそれほど二人の間に差があるようには思いませんでしたが、現在は、青年に近い少年と、子供に近い少年という差が明らかについています。
拓志がヒルトンを出発する前後から、拓志のことが心配なるり子は、何回も拓志に電話を入れて状況確認をしていましたが、本人は至って気楽というか気丈なもので、今回の帰省は屁でもなかったようです。私が小学6年だか中学1年だかの頃、当時住んでいた関西から名古屋に、家族に先駆けて一人で帰省する際の話です。中央西線の長野行き特急「しなの」は、当時、一日一往復だけ大阪発があり(しなの5号。当時はまだ気動車でした)、鉄道好きだった私は、わざわざそれに乗って帰ったことがあります。といっても、大阪駅までは母に送ってもらい、名古屋駅で祖父だか祖母だかに迎えてもらうという、本人にとってはいたってお気楽バージョンでしたが、両親はとても心配していました。それに比べると、14歳の彼が南アからオーストラリアまで飛行機に乗ってくるのですから、本人にとっても親にとっても全く桁違いの旅行ですが、これも時代の違いなのでしょう。何はともあれ、拓志の初めての単独海外旅行は、ひとまず成功でした。これからは、経験を増やす度に、彼にとっても我々親にとっても、ごく普通のことになっていくのでしょう。
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